海水はどこまで川を上ってくるのか:塩水くさびのしくみ

汽水河川では、海水が底を這って上流へ入り込みます。海水と淡水の重さの差は2.5%しかありません。那珂川の海門橋では水深2mより下が海水になっている観測があり、涸沼では満潮25回のうち海水が入ったのは6回でした。

汽水の川で釣りをしていると、同じ場所でも日によって水がまるで違います。上げ潮で海の匂いがする日と、雨のあとで完全に川になっている日があります。

その境目がどこにあるかを決めているものを調べました。

大洗周辺の川で塩分を測ったわけではありません。国や自治体が公開している資料と、公表されている論文を読んで整理したものです。測った値ではなく、公開データと計算から言えることだけを書きます。

海水は底を這って上ってくる

海水は淡水より重いので、河口では下に潜り込みます。上を川の水が流れ、下を海水が這い上がる。断面で見ると海水の層が上流に向かって薄くなり、くさびを打ち込んだ形になります。塩水くさびという呼び名はここから来ています。

まず、どれくらい重さが違うのかを計算します。

塩分淡水との密度差(20℃、kg/m³)淡水を1としたときの割合
53.80.38%
107.60.75%
2015.21.50%
3022.72.23%
3425.82.52%

外洋の海水でも、淡水より2.5%重いだけです。

この2.5%が、この記事に出てくる数字のほとんどを決めています。

2.5%の差は、重力を40分の1にする

水中で水が水を押しのけるとき、効いてくるのは重力そのものではなく、密度差のぶんだけ目減りした重力です。

密度差が2.5%なら、働く重力も2.5%になります。9.81 m/s² の2.5%で、0.25 m/s²月面の重力の6分の1よりさらに小さい値です。

このため、海水と淡水の境目に立つ波は、水面の波よりずっと遅く進みます。

全水深下層(海水)の厚さ境目の波の速さ水面の波の速さ
3 m1.5 m0.43 m/s5.42 m/s
4 m2.0 m0.50 m/s6.26 m/s
6 m3.0 m0.61 m/s7.67 m/s
8 m4.0 m0.70 m/s8.86 m/s

どの水深でも、境目の波は水面の波の13分の1の速さです。

水面の波は歩くより速く、境目の波は歩くより遅い。同じ川の中に、速さが1桁違う2つの世界があります。

川の流れが速いと、海水は入れない

塩水くさびが上流へ入れるかどうかは、川の流れの速さと、境目の波の速さの比で決まります。

この比が1を超えると、海水は上流へ進めません。境目に立つ波より川の流れが速いので、押し返されるからです。比が1になる流速は、上の表の「境目の波の速さ」そのものです。

下層(海水)の厚さ海水が押し返される流速
1 m0.50 m/s
2 m0.70 m/s
3 m0.86 m/s
4 m0.99 m/s
6 m1.22 m/s

平常時の川の流れは、多くの場合これより遅いです。 だから海水は入ってきます。雨で増水すると、この値を超えて追い出されます。

この計算は、上下が混ざらない2層として扱ったものです。実際には境目で混ざるので、そのぶん話は変わります。

海門橋の下で、実際に測られています

那珂川の河口域で観測した研究があります。高橋らが、海門橋で超音波流速計を使って断面の流れを測っています。

2012年10月9日の上げ潮時の結果です。

水深1mより浅いところは下流向き、それより深いところは上流向きに流れていました。 川の水が海へ出ていく上を、いや、その下を、海水が遡っていたということです。

同じときに水温・塩分・濁度の縦の分布も測っています。水深2mを超えたあたりから、塩分と水温がそろって上がっていました。 そこから下が海水です。

面白いのは濁度の測り方です。濁りは表層の川の水で低く、深いところの海水で高くなっていました。 海水のほうがクロロフィルを多く含むためです。この研究はこの性質を使って、濁りが上がったのが雨による出水なのか、塩水くさびの侵入なのかを見分けています。 クロロフィルが一緒に上がれば塩水くさび、上がらなければ出水、という区別です。

そして、流量と潮時によっては、くさびが水面の近くまで占めることがあるとも書かれています。観測時の那珂川の流量は63.9 m³/sでした。

遡上距離を計算した研究は、1967年にあります

塩水くさびの長さを解く式は古くからあります。原昭宏 (1967)「東京湾沿岸諸河川における海水遡上限界」は、Farmar and Morgan (1952) の式を東京湾に流れ込む18の河川に当てはめたものです。

式に入るのは、くさび先端の水深と流速、淡水と海水の密度、そして界面の摩擦です。原は密度を、淡水1.000に対して海水1.019から1.022としています。東京湾の海水は外洋より薄いので、密度差は1.9%から2.2%です。

計算値は、桁で外れました

そのまま計算した結果が面白いので、そのまま引きます。

河川実測されていた長さ式のままの計算値河床勾配で補正した値
多摩川12,000 m1,891,620 m9,900 m
中川15,000 m93,810 m26,300 m
江戸川7,000 m8,870 m7,520 m
矢那川1,000 m1,586 m1,105 m
古川800 m154 m604 m

多摩川の計算値は1,892kmです。 川の全長よりはるかに長い。荒川はさらに大きく2,736kmでした。原自身が「実際にはあり得ない」と書いています。

原因も突き止めています。式は河床が水平だと仮定して導かれたものでした。 流量が少ない渇水期には、くさびが非常に長くなるので、河床の勾配を無視できなくなります。原は「式は流量がかなり大きい場合でなければ適用できないにもかかわらず、渇水期の河川に適用したことにあった」としています。

そこで河床の勾配で補正すると、実測値とそれほどかけ離れない値になりました。上の表の右端です。

式があっても、そのままでは使えないという例です。 そして何が効いているかというと、河床の勾配でした。原の結論の3番目は、塩水くさびの長さは河床勾配によって指数曲線的に変化する、というものです。

小潮のときに、くさびは明瞭になります

原の結論の1番目がこれです。塩水くさびは小潮のときに明瞭に発達する傾向がある。

理由は書かれています。潮差が大きいと、河口に入ってくる海水の単位時間あたりの移動距離が大きくなり、上げ潮のときの二層の相対速度が増えます。速度差が大きいと界面が乱れて混ざるので、境目がぼやけます。

多摩川・隅田川・中川で月齢と電気伝導度の縦分布を調べたところ、潮差の小さいときに上下二層の境界がかなり明瞭に現れていました。 原はこの結果をもとに、渇水期かつ小潮という条件で計算しています。

地形が上限を決める

式より手前に、動かせない上限があります。

国土交通省の河川砂防技術基準は、塩水遡上区間を河口から、平均海水面と最深河床高とが一致する地点までと定義しています。

河床が海面より高くなったら、その先へ海水は行けません。 底を這って進む流れだからです。堰などの構造物があれば、そこが上限になります。

同じ基準は汽水域を塩分0.5‰から30‰までの範囲と定義しています。塩水くさびの先端と、汽水域の上流端は別の場所です。

3つの型があり、大洗はまん中

河口の塩分の分かれ方は3つに分類されています。上と下が分かれたままの弱混合型、斜めに傾く緩混合型、上下が同じになる強混合型です。

同じ基準が、地域ごとの傾向をこう書いています。

どこに多いか
弱混合潮位の変動が小さい日本海側で、流量の大きい河川
緩混合東日本の太平洋側
強混合太平洋側の内海に流れ込む河川

大洗周辺の川は緩混合型に当たります。 後で出てくる涸沼川の観測でも、那珂川との合流点付近は緩混合と報告されています。

これは重要な但し書きです。きれいな2層に分かれた塩水くさびは、日本海側に多い形です。 ここまでの計算は2層を仮定しているので、そのまま当てはまるわけではありません。

分類の基準に、食い違いがあります

型を決める基準として、同じ基準は2つの量の比を挙げています。Q(平均潮汐周期の間に上流から流れ込む河川の総流量)Pt(満潮時と干潮時の水量の差、タイダルプリズム) です。

そして「Pt/Q≧0.7 のとき弱混合、0.7>Pt/Q>0.2 のとき緩混合、Pt/Q=0.1 のとき強混合」としています。

この向きは、同じページの説明と合いません。 同じページは強混合型を「潮位変動量が大きい」河川に多いと書いています。潮位変動量が大きければタイダルプリズム Pt は大きくなるので、Pt/Q も大きくなります。大きいほうが弱混合だとすると、逆になります。

元をたどると、この分類は Simmons による flow ratio という指標です。Hansen and Rattray (1966) が Schultz and Simmons (1957) を引いて紹介している基準は、河川流量をタイダルプリズムで割った値、つまり Q/Pt のほうでした。値は1.0以上で成層、0.25程度で部分混合、0.1をかなり下回ると完全混合です。

比の向きが逆になっており、閾値の数字も違います。 どちらが正しいかは、日本語側の原典である杉木の著書を読まないと決められません。私は当たっていません。 ここでは両方をそのまま書いておきます。

なお Hansen and Rattray 自身が、この規則はごく大まかにしか当てはまらず、混合型を判定する基準の定義も曖昧だと Schultz and Simmons が断っていると書き添えています。

涸沼では、満潮のたびに海水が入るわけではありません

大洗のすぐ隣に、この現象が繰り返し測られている場所があります。涸沼です。

那珂川の河口から1kmほど遡ったところで下流涸沼川が分かれ、そこを約8km遡ると涸沼の湖口に着きます。茨城大学の研究グループが、ここで長年観測を続けています。

まず涸沼そのものの寸法です。

項目
面積約9.3 km²
平均水深2.1 m
湖容積約1,950万 m³
湖口から2.5kmの水深約1.5 m
その先の水深約3 m
上流涸沼川の年平均流量3から12.6 m³/s

平均水深2.1mの、浅い皿のような湖です。

数えられています

三村ら (2002)は、自記式の塩分計を涸沼の湖口から1.5km入ったところに置き、塩分が急に上がった回数を数えています。2001年10月30日から11月12日までの記録です。

場所海水が入った回数
湖口付近13回
湖内(明確なもの)3回
湖内(小さいものを含む)6回

同じ期間の満潮は25回でした。

満潮のたびに海水が入るわけではありません。 そして、大潮の期間に目立った侵入は起きていませんでした。 潮位の変動だけでは決まらない、というのが同論文の結論です。

信岡ら (2005)は、まとまった塩水塊が湖に入る頻度を年に10回程度としています。

効いているのは那珂川の流量です

では何が効いているのか。三村らは、那珂川の水位と潮位振幅、上流涸沼川の流量をそれぞれ±20%変えた計算を行い、いちばん効くのは那珂川の水位(流量)だったと報告しています。

しくみはこうです。

那珂川の流量が増える夏は、河口付近で塩水くさびの侵入が押さえられる。 その結果、涸沼川と涸沼への塩分の侵入が減ります。流量が減る冬は、くさびが河道に深く入り込み、涸沼への侵入が促されます。

この記事の前半で計算した「押し返される流速」が、実際の川で季節として現れている形です。

途中の地形が、フィルターになっています

下流涸沼川は河床の凹凸が激しく、水深が2mから10mまで変わります。この凹みが効いています。

下げ潮のとき、重い高塩分の水は凹みの底に取り残されます。 全部は流れ出ません。その結果、上流側の塩分のほうが下流側より高いという逆転が起きます。 三村らは、河道に沿って高塩分・低塩分・高塩分がサンドイッチ状に並んだ分布を観測しています。

同論文はこれを「下流涸沼川が那珂川と涸沼の海水交換を非線形的に媒介するフィルターとなっている」と表現しています。

入ったあとに起きること

信岡らは、海水が入ったあとの湖内を追っています。

2004年11月15日、台風による洪水で淡水になっていた涸沼に、4週間ぶりに塩水が入りました。湖の中央部にできた塩水の層は、厚さ50から100cmでした。

そのあとが問題です。

日付湖底付近の溶存酸素
塩分が入る前8 mg/L で一定
11月19日1.0 mg/L

貧酸素になるまで約4日かかっています。

理由は書かれています。塩水が入った時点ではまだ酸素はあります。その塩水が底に停滞して密度の層ができると、上から下への酸素の供給が絶たれます。 そこへ湖底での消費が続いて、酸素が尽きます。

塩分が10 psu以上になると溶存酸素は4 mg/L以下に下がる、という関係が春・夏・秋に見られています。ただし冬は塩分が年間で最も高いのに貧酸素になりません。 水温が低くて微生物の活動が弱いためです。

なお涸沼の名産であるヤマトシジミは、産卵と初期発生に10 psu程度の塩分と23℃以上の水温を必要とします。信岡らは、この2つを同時に満たすのは5年に1回程度だと書いています。

釣りに何が言えるか

言えることは限られます。

言えること。 海水が入ってくる範囲には、地形で決まる上限があります。河床が海面より高くなったところから先へは、底を這う流れは進めません。そして雨で増水すれば、海水は押し出されます。上の表にある0.5から1.2 m/s という値は、その目安になります。

季節の向きも言えます。 涸沼では、川の流量が減る冬に塩分が上がり、増える夏に下がります。これは測られた事実です。

言えないこと。 界面がどこにあるとよく釣れるか、は書けません。塩水くさびの位置とシーバスの分布を同時に測ったデータを、私は見つけていません。 ベイトはなぜそこにいるのかで扱った集積の仕組みは、界面についても働くはずですが、これは推測です。

貧酸素についても同じです。 涸沼の底で酸素が1 mg/Lまで下がることは測られていますが、そのときシーバスがどこにいるかは測られていません。

そして、自分の釣行で確かめることもできません。 「良く釣れるルアー」の正体で計算したとおり、この種の差を個人の釣果から見分けるには、現実的でない回数が必要になります。

分かっていないこと

大洗周辺の川の塩分を、自分で測ったデータは持っていません。 この記事の数値は、公表されている観測と、公開されている定義と、私の計算です。

この記事の計算は、上下が混ざらない2層を仮定しています。 大洗周辺が属する緩混合型では、この仮定は成り立ちません。数字は目安であって、実際の値ではありません。

那珂川の塩水くさびの長さを測ったデータは見つけていません。 海門橋での断面の観測はありますが、それは1地点の話です。河口から何km上流まで海水が届いているかは、この記事では書けません。

涸沼川の分岐点の位置が、論文によって違います。 三村ら (2002) は那珂川の河口から1km、信岡ら (2005) は0.5kmとしています。茨城県は涸沼から海までを約7.5km、論文は涸沼川を約8kmとしています。どれも同じ場所の話ですが、起点の取り方が揃っていません。

混合型の分類基準は、比の向きと閾値が資料によって食い違います。 日本語側の原典に当たっていないので、どちらが正しいかを決められていません。

界面と魚の分布を結びつけた資料は見つけていません。

続けて読むなら

使ったもの・参考文献